原子力の子

 午後、NHK原発の是非を考える30年前の討論番組を再放送していた。石油ショックの記憶が新しかったり冷戦終結前だったりと、現在とは異なる背景はあったのだけれど、安全性やコスト、エネルギーの安全保障や廃棄物の処理問題など議論の軸は現在とほとんど同じ。30年前の番組の中にごくごく最近の討論が入り込んだような妙な既視感があった。
 この討論から30年後の有り様はご存知のとおりで、原子力政策に関する政府や電力会社の責任を問うのも理解できるのだけれど、少なくとも30年前には多くの国民がこの議論・情報にアクセスできていたわけで。その後社会の中心を担ってきた世代がそれらの政策を黙認してきた、あるいは無関心でいてしまったという事実は重々覚えとかなきゃなと再確認。成長のためには必要な設備投資と考えた人もある程度いたはずだし、おそらくそれは真だったろうし。(「正し」かったかどうかは別にして。)
 会ったこともない政治家や電力会社を一方的に責めるよりは、オヤジたちの30年前を聞きながら事態がここに至った過程を考えてみる方が実りあるのではないかと、暢気に思う。僕らもすでに後の世代に責められかねない側である。


久しぶりに青臭いことを想起させる番組だったので、感想を書き留める。
原子力」と「世代」ってなんだか結びつきが良いように感じる。
おそらく、崩壊の親核種−娘核種のイメージなのだと思うけど。